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スケジュール
2010年5月30日(日)~12月31日(金)
終了しました
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場所・住所
松陰神社駅
東京都
世田谷区
若林三丁目18
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本イベントの参加は「ぽけかる倶楽部」にてお申し込みが必要となります。イベントによっては出発数日前に申し込みを終了する場合がございますのでご了承ください。
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東京都内有数の住宅街として印象が強い世田谷区を舞台にぽけかる倶楽部ではこの地で歴史散策をご案内します。今回、みなさまにお伝えしたい人物がいます。それは、「明治維新の精神的指導者・理論者、松下村塾などを主宰した吉田松陰」と「桜田門外の変において暗殺された大老・井伊直弼」です。時代は、江戸後期。当時、日本には外国船が頻繁に往来しました。1853年にアメリカ合衆国のペリーが浦賀に来航します。いわゆる黒船です。当時、浦賀には町人が見物をするために勝手に小船を出して、接触を試みようとしたものまでいたそうです。ペリー来航によって、徳川幕府は日米和親条約を締結します。その後、西欧諸国とも条約を結び、事実上、日本は開国をします。ペリーが来航した年に12代将軍・家慶公が死去します。そして、家定公が就任しましたが、家定公が元来病弱なため、次の将軍を決めるべく将軍継嗣問題が起こります。国内でも問題が起きている最中に、アメリカ合衆国の幕府の日本はアメリカ合衆国総領事・ハリスが条約を結ぶために幕府に迫っていました。この条約は日米修好通商条約といい、日本にとって不平等な条約でした。そして、1858年当時の幕府の大老・井伊直弼が天皇への勅許を得ず、将軍継嗣についても断行しました。この断行によって、様々な反発が起こります。この反発するものたちを弾圧する事件を安政の大獄といいます。この弾圧によって処罰された一人に吉田松陰がいます。この時代に相対する立場にいた両名を忍び吉田松陰が眠る松陰神社、最後は桜田門外の変にて亡くなった井伊直弼が眠る豪徳寺に訪れます。是非、この機会に訪れてみませんか?!
本イベント提供者
ぽけかる倶楽部 |
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